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Posted by ミリタリーブログ at

2014年04月22日

ざ・ウエストフロント 5 END

午後からのシナリオは再び攻撃発揮位置からの攻撃で始まりました。



突撃は横隊となり、各自示された突入点へ突入するのですが、訓練や認識不足によりどうしても攻撃方向が一点に固まり、突撃が失敗する事が多くなります。






突撃は練度不足により上手くいったとは言いがたいが、敵主陣地を占領する事が出来た。

イベント最後のシナリオは突撃の場面のみの再現で、攻守を入れ換え行われた。

ここでは突撃要領の演練として突撃を実施した。
防御側の兵力が攻撃側よりも多く、攻撃としては良い環境ではなかったが、攻撃要領を体感する事が出来たと思います。

攻守入れ替わり防御の際は、火網の構成を理解出来たのではないかと思います。





今回初のイベント「ざ・ウエストフロント」は夏期に開催されている「ざ・パシフィックフロント」のヨーロッパ版で、シナリオが非常にしっかりしており、軍の指揮系統も良く再現されたイベントでした。

但し、ドイツ軍ユニットに関しては充分に指揮系統、行動がしっかり出来ているとは言い難く、今後の課題だと思います。
また、参加者の大部分はイベントの主旨を理解し、レギュレーションに従い参加されていましたが、極一部の参加者はレギュレーションを読んでいないのか無視しているのか、イベントにそぐわない服装、装備の者が居たのは非常に残念に思いました。

  
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Posted by Msg.Nakanishi at 20:00Comments(0)リエナクト

2014年04月20日

ざ・ウエストフロント 4

午前のシナリオが終わり、昼食風景です。

ジープで運ばれて来たKレーションとコーヒーの配給を受けます。


コーヒーを入れている容器は大戦中のフードコンテナです。
キャンプでは将校と兵は食堂が分けられますが、野戦ではアメリカ軍は将校も兵も関係無く配給の列に並びます。


中隊のKP等が食事を直接供給する時は、喫食エリアを設け、他の場所で食事を採る事は禁じられます。
今回は携帯口糧を配給されたので、各自のテント回りで各々食事を採っています。




今回支給された先任作製のリプロKレーション。


食事を後は次のシナリオ開始までショップを巡ったりと、休憩を各自楽しんでいます。


次回は後半シナリオの状況で終わりです。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 20:00Comments(0)リエナクト

2014年04月17日

ざ・ウエストフロント 3

主陣地攻撃から続けます。

敵の前哨を排除し、更に前進すると、敵主陣地にぶつかります。

主陣地前の前哨は幾つも配置されていたり、偽陣地を作り主陣地の発見を遅滞する事もあります。

敵主陣地に接触したならば、小隊は敵の動向監視の為、一個分隊を接触維持として直射火器の圏外に残し、主力は集結地を設ける為、後退します。

集結地では警戒の処置を講じ、攻撃準備と努めて休憩を取ります。
ここからの作戦行動は、前回のHGGと重複するので、省きます。

攻撃準備射撃最終弾に合わせ、攻撃を開始。
小隊長は警笛により合図を送るため、体勢を取っている。
左では中隊長が双眼鏡で、前方を視察している。


右の林縁に配置されたMGの援護射撃の下、攻撃が開始された。






この攻撃により、敵陣地の右翼を占領し、攻撃の足掛かりを確保する事に成功したところで、午前の状況が終了しました。


次回は昼食風景です。

  
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Posted by Msg.Nakanishi at 18:30Comments(0)リエナクト

2014年04月15日

ざ・ウエストフロント 2

状況開始から続けます。

中隊長から命令を受領した小隊長は、分隊長を集め小隊の命令を下達します。
分隊長は小隊命令を更に分隊命令として分隊員に命令指示を与えます。
こうして示された時刻に中隊は前進を開始します。




敵の勢力下までは車輛若しくは徒歩で移動し、集結地を占領し警戒の処置を講じます。
大隊で調整事項や、情報或いは命令を受けて中隊長が集結地に前進して来ます。
集結地では新たな情報や命令を再び前衛小隊命令として受けて、行動を開始します。









前衛小隊は示された経路上を速やかに前進し、経路上の障害を排除しつつ敵主陣地を解明して行きます。
敵主陣地に当たるまで前衛は停止しません。
敵の前哨は速やかに排除し、前進して行きます。
停止すると作戦が停滞します。
軍の行動は自分達だけで動いていないので、示された目標や時間は必ず達成しなければなりません。

前衛小隊から出ている前衛分隊は、少数の前哨と接触したならば、速やかにこれを排除し、引き続き前進しますが、一個分隊規模の前哨と接触したならば、小隊長の命令により小隊主力でこれを排除します。


前衛分隊が一個分隊規模の敵と接触。
小隊長はMG組と一個分隊をもって、正面から敵を射撃により拘束。






主力を迂回させ敵の側背より攻撃し、敵を排除します。

敵の前哨は主陣地の為に、時間的猶予を与える為、前進して来る部隊に射撃等加え前進を遅滞させる任務をもっています。
この敵前哨を速やかに排除する事により、時間的余裕を敵に与えないように努めます。
また、敵は部隊が攻撃の為展開したのを確認したら、通常後退して次の遅滞行動に移るか、主陣地に戻ります。




敵前哨を攻撃し、同地を確保。
敵前哨は射撃しつつ後退した。
小隊は残敵を検索し、前進の体勢を再び整え前進します。

通常敵は前哨陣地に火砲の照準を合わせおり、後退後に砲弾を落としますが、今回の敵は射撃しつつ後退した事により、十分に間合いを取れなかったため、我が方に砲弾は落下せず、主陣地への時間的余裕も十分与える事が出来なかった様です。





次回は主陣地の戦闘から続けます。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 18:30Comments(0)リエナクト

2014年04月13日

ざ・ウエストフロント



3月21日/22日の二日間に和歌山県橋本市のバトルランド-1にて開催された、WW2欧 州西部戦線「ざウエストフロント」に参加しました。

今回ドイツ軍側は緑襟や迷彩アノラック等思い思いの装備ではなく、統制された装備での一個小隊(三個分隊)+本部が運用できたのは国内トップクラスの質と量になり、米軍側も、人数こそドイツ軍に劣りますが、我々Bco/100bnを中心とした国内トップクラスの質がカバーし、大変充実したイベントになりました。

糧食について独軍は後方での炊事班による海洋堂所有のフィールドキッチンでの温食支給を実施し、米軍は戦闘糧食支給とし状況に合わせた配食となりました。

今回の状況はエアガン及び火薬式玩具使用の模擬戦闘&リビングヒストリーイベントであり、状況設定は厳密には設けておりらず、1944年ベルギー、オランダに近いドイツ、アーヘン の近郊での戦闘をモデルにしていました。

戦闘参加者は60名となり、内訳は

ドイツ軍 35名(中隊本部4名、小隊本部4名、小銃3個分隊26名)

アメリカ軍 25名(中隊本部3名、小隊本部2名、小銃2個分隊14名、機関銃班3 名、迫撃砲班3名)

以上の規模でのイベントとなりました。

今回我々のグループはピラミダルテントを中隊本部とし、実際にイベント本部として活用してもらい、隣にスモールウォールテントで中隊長テントを設営し、メンバーは全員パップテントを繋げて4人用にして宿営しました。




翌朝、本部前で戦闘準備を整えています。
余裕のあるメンバーは髭剃りをしていました。




リエナクトイベント恒例の編成完結式。
実際に中隊長から訓示を受けました。



次回は状況開始から続けます。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 20:00Comments(0)リエナクト

2014年04月12日

#11 HGG リエナクトイベント END



今回はメンバー二人が糧食班(KP)として、戦闘に参加せず、調理を担当しました。
KPは現在我々が力を入れて研究している部署です。

昼食はスパムムスビです。
当時の日系兵士に食されていた物です。
ベテランからの聞き取りを基に作っていますが、詳細を聞き忘れておりますので、参考程度と思って下さい。




アメリカ軍の配食要領はマニュアルにより示されています。

野戦で調理された食事はBレーションと呼ばれ、今回の様にラインを作って配られるのは敵の脅威の少ない後方地域の配食方法で、前線ではフードコンテナで分隊毎に配食されます。









昼食後にはイベント閉会式を行い、今回のHGGは終了しました。

HGGイベントは年に二回実施され、秋冬での開催はヨーロッパの戦い、春夏開催は太平洋戦域を実施しています。
ご興味の有る方は下記のサイトを訪れてみて下さい。

http://park.geocities.jp/gotenbasvgnet/index.html

END  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:14Comments(0)リエナクト

2014年04月09日

#11 HGG リエナクトイベント 3



状況開始から続けます。

中隊の前衛となり、前進経路上の敵を排除し、速やかに敵主陣地を解明し撃破せよとの命令を受け、接敵行進からの状況を開始しました。






林縁まで前進したところで敵前哨陣地の接触は省略され終結地の占領、警戒陣地の構築を行いました。






小隊から各分隊1組の斥候を出して、敵主陣地の解明を行います。
通常では昼間は遠方からの監視斥候とし、夜間に細部の斥候を行います。




斥候からの情報を基に、中隊は攻撃計画を立案し、行動に移します。
今回のイベントでは時間尺度を短縮し、行動していましたので、斥候の帰来報告後に直ぐ攻撃を開始しています。

攻撃支援射撃開始と同時に集結地(Assy)を出発し、攻撃発揮位置(AP)を占領します。
攻撃支援射撃終了に合わせ、攻撃開始線(LD)を通過し隣接部隊と足並みを揃え攻撃します。








LDを越えると直射火器の射程圏内に入ります。
敵からの火勢が無い限り、出来るだけ素早く突撃発揮位置(Atp)に緊迫します。
敵からの射撃が有れば、分隊内相互に連携し、Atpに緊迫して行きます。
各分隊がAtpに到達したならば、小隊長は突撃支援射撃を要請し、更に敵陣地に緊迫し、突撃支援射撃最終弾に合わせ突撃発揮します。





敵陣地突入後は示された目標に速やかに緊迫、敵を排除して行きます。
示された目標に到達したならば、直ちに分隊長に報告し警戒します。

分隊長は示された地域を占領したならば、速やかに分隊員を掌握し、小隊長に報告します。

目標地域を占領したならば、残敵を掃討し同地を確保、予備の小隊が通常超越し遠方まで前進します。
また、命令があれば引き続き攻撃を続行し、縦深陣地を占領します。

イベントでは敵主陣地を占領、警戒の体勢を取ったところで終了となりました。


次回終了後の昼食で終わります。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 12:15Comments(1)リエナクト

2014年04月08日

#11 HGG リエナクトイベント 2



翌朝からのレポートを続けます。

朝は起床ラッパにより起床し、整列して点呼を取ります。

実際に健康状態の掌握、人員の掌握をして異常の有無を確認します。








点呼後は各自朝食までの間、身支度を整えます。

朝食が出来上がり、食事ラッパの合図で各自並んで配食を受けます。





食事後は状況開始までの間、時間潰しに雪ダルマを作って遊んで見ました。
実際の兵士達も退屈凌ぎに、様々な遊びをしていました。






状況開始前のセレモニーを行います。
実際にはこう言ったセレモニーは、部隊の編成完結時に行う為、前線では行いませんが、イベントではその時々で編成を完結するため、士気の高揚や団結の強化、或いは指揮の明示のため敢えて行います。



次回は戦闘状況から続けます。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:49Comments(0)リエナクト

2014年04月08日

#11 HGG リエナクトイベント



2月8日から9日にかけ御殿場で行われたリエナクト イベント、HGG11のレポートです。

今回の想定はイタリア戦線マジョ高地群の戦闘でし たが、予想外の降雪により景色はバルジ戦かスター リングラードの呈となってしまいました。

先行して到着した先任達が、宿営準備を始めて居ました。

引き続き炊事の為のテントを皆で設営。

平行して宿営テントの中を準備しています。












宿営地の開設が終わり、先任が夕食の準備を始めます。

他の者はテントで休息を採って居ました。

暗く成ってからの夕食です。

本来なら食事をとる場所を開設し、テント内では食事をしないのですが、今回は思わぬ天候であった為 、テント内で食事をしました。








夕食後は宴会となりましたが、皆昼間の疲れから、 早々に就寝となりました。






次回は翌朝からの行動です。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 11:14Comments(1)リエナクト

2014年02月01日

HGG

今回は来週末に行われるリエナクトイベントの参考に、第100大隊の概要を載せておきます。

イベントの詳細は下記URLを参照願います。
http://park.geocities.jp/gotenbasvgnet/HGG5.html


この項では、同じ日系部隊でも442連隊と100大隊が、別の性格を持っていた事を理解して頂ければと思います。



<部隊史概要>
1940年10月29日:
第1回選抜徴兵(Selective Service Act)開始。ハワイにおいて1543名の日系人が徴兵され、ハワイ州兵として第298及び第299歩兵連隊等へに配属され軍務に就く。

1941年12月7日:
真珠湾攻撃 。
所属する日系人を含む298ならびに299歩兵連隊は日本軍の上陸を警戒する任を帯び、海岸線防衛等に数日間あたる。

防衛警備に当たっている最中、ハワイにおいて軍務に就いている日系人全てが、スコフィールドに集められ、半ば隔離された状態になる。
以降、武器を回収され雑務をして過ごす。

1942年6月5日:
298ならびに299連隊の1432名の日系兵士によるハワイ臨時歩兵大隊 (Hawaiian Provisional Infantry Battalion)が編成され、マウイ号にてアメリカ本土へ移動。
この異動は極秘のうちに行われるたため、家族すら知らず見送りも無かった。
また兵士たちは「マウイ号」乗船時にハワイの伝統であるレイを貰えなかった事
もあり、彼らの不安をあおった。

1942年6月12日:
マウイ号は オークランド へと入港し、ハワイ臨時歩兵大隊は第100歩兵 大隊(独立)となる。
その後行き先も知らされぬまま3本の列車に別れて内陸部へ移動。

1942年6月16日:
第100歩兵大隊は ウィスコンシン州 キャンプ・マッコイに到着、編成と 訓練を開始する。

1943年1月6日:
マッコイでの訓練を終えた第100歩兵大隊はミシシッピー州のキャン プ・シェルビーへと移動し訓練を継続する。

1943年4月初頭:
第85師団に配属され、ルイジアナでの2ヶ月に渡る演習に参加。

1943年7月20日:
大隊旗受領。
部隊モットー「Remember Pearl Harbor」を制定される。

1943年8月11日:
第100歩兵大隊に海外出征の命令が下る。
キャンプ・シェルビーを出発。キャンプ・キルモアを経て、20日にブ ルックリンにて「ジェームス・パーカー号」に乗船。

1943年9月2日:
北アフリカ のオランに到着。
北アフリカでは鉄道警備にあたる予定だったが、大隊長ファーレント・ターナー中佐の抗議により実施していない。また一部、遺体処理の作業に当たったと言う証言がある。

1943年9月19日:
第34師団第133歩兵連隊の第2大隊として配属が決まる。
オランから「フレデ リック・ファンストン号」に乗船。

1943年9月22日:
イタリア戦線 サレルノに上陸。

1943年9月28日 - 30日:
サン・アンジェロ〜 モンテマラーノ の街道において初の戦闘 KIA:3
この日 Sgt.Shigeo Joe Takata が初の戦死者となる。

1943年10月10日:
師団長の命令により、ヘルメット前面に師団章(RedBull)をペイント。
師団の一員(ひいてはアメリカ軍兵士として)に認められた証であるこの措置は兵士達を喜ばせた。

1943年10月18日 - 24日:
ヴォルトルノ川渡河、サンタンジェロ攻撃 KIA:23

1943年10月22日:
副大隊長ジェームス・ラベル少佐負傷。

1943年10月29日:
大隊長ファーレント・ターナー中佐は療養を命ぜられ、ジェームス・ ギレスピー中佐に交代。

1943年10月30日 - 11月4日:
ヴォルトルノ川渡河(第3回)に参加。KIA:21

1943年11月5日 - 12日:
590高地、600高地、610高地の戦闘 KIA:33

1943年11月28日 - 12月15日:
ルート掃討戦 1017高地、920高地、841高地の戦闘 KIA:39

1943年12月5日:
大隊長はキャスパー・クロー少佐に交代。


(以下イベント想定時期)
1944年1月5日 :
第100歩兵大隊と第3大隊は第36師団砲兵を加えてタスクフォースBを 編成し、第1特殊任務部隊のフレデリック大佐指揮により翌日よりマジョ高地群の掃討に向 けた行動を開始する。

1944年1月7日 - 13日:
マジョ高地群 1190高地、1270高地、692高地の戦闘 KIA:13
これらの高地を巡る戦闘は犠牲も出したが、第100歩兵大隊に戦闘部隊としての経験と自信 を植え付ける。以後の第100歩兵大隊は戦闘時にも混乱を起こす事なく戦った。


<服装、装備について>
・服装
基本的にはウールシャツ、ウールトラウザースにキャンバスレギンス、ODフィールドジャケットですが、この時期はウィンターコンバットジャケットとトラウザースを着用している者が多く見受けられます。

34師団章をジャケットにほとんどの者が着けているのが確認できますが、階級章は着けていない事が多いです。

ヘルメットには師団章を手書きでペイントしており、一部の者が網目の大きいヘルメットネットを使用しています。

・装備
銃剣はウェブベルトに提げず、背嚢に装備されています。
ウェブベルトには水筒、救急品袋を装備しますが、教範に示された位置に着けて居ません。
これらは統制され、34師団独自の位置に装備されていました。(下画像参照)



  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:27Comments(0)リエナクト

2012年06月13日

リエナクトメント?

今回は趣向を変えて自分が行っているリエナクトについて書いてみます。

まずミリタリーに限らず趣味には幅があります。
ミリタリーとしては
・戦史
・車輌
・航空機
・艦船
・軍服
・火器
・無線

更に
・コスプレ
・サバゲ
・コレクション
・ゲーム
・キャンプ
・プラモデル
・実車
・ラジコン
・映画

等の様に大別され勿論、上記以外のカテゴリーも含めこれが更に複合し目的に合せ収集する物も変わり、こだわりや
目的も変わり幅が大きくなっていきます。

自分の目指すリエナクトは当時の兵隊の生活に近づき体験するのが目的です。
当然その軍隊の行動や規範に基づきです。
リエナクトは更にその時代の生活、流行、風俗にも目を向け更にはその前の時代にも目を向ける事もあります。

しかしこのリエナクトと言うカテゴリーは日本ではまだ人気も少なく確立されていません。
リエナクトをしようと行動している人やグループは小数ながら存在はしますが、残念ながらしっかり出来ているとは言い難いです。
原因は軍の経験者が居ない事と、軍隊組織を理解出来ていないのが大きな原因だと思います。
リエナクトでは特に経験者が必要となります。
これは先に書いたように軍隊の行動や規範を行うのには教範を読むだけでは理解出来ない事が多く、経験者でないと分からないからです。
この為日本ではリエナクトがなかなか定着出来ないのです。
リエナクトとは研究した結果を実行する事と考えると分かり易いでしょうか?
表現力が乏しいので蘊蓄はこの辺にして、ここからは実際に行っている画像を紹介しておきます。

先ずはグループが初めて本格的に1夜2日の状況下を体験した写真です。
三重県某所で正月休みを利用し実施。当初は雪が無かったのですが、山に入る頃には一面雪に覆われてしまいましたが、幸か不幸か史実と同じ状況となりました。
歩兵が持って行動出来る物だけを持ち、実際の生活を体験してもらいました。
設定は1944年1月 カッシーノ攻略前の行動として服装、装備を規定しています。
このイベントではほぼ全員がODフィールドジャケットを着用していますが、最近の研究結果で実際この時期ほぼ全員がウィンターコンハットジャケット上下を着用していた可能性が高い事が分かりました。
この様に研究を重ね新に判明していく事もあり、そこがまたこの趣味の楽しい所です。



イベント実施場所の制約上ずっと攻撃前進を行うのは困難な事と、軍隊行動の基礎を体験する事を主眼にし、敵主陣地攻撃前の終結地の行動を実施し一人用小銃掩体を二名一組で3つと二人用小銃掩体1を作成、合わせて斥候行動の体験をしました。






夜間は交代で歩哨に就き翌朝の攻撃前進開始前で状況を終了しました。







次の一連の写真は石川県某所でこれまた正月休みを利用し実施した状況イベントです。
設定は1944年12月 シャンパンキャンペーン中のL中隊の設定だったと思います。
この時の状況は敵との接触線維持のため、示された地点を占領し監視の為の陣地を作る一連の状況でした。






この時は二人用小銃掩体を2名一組で構築し翌朝まで警戒を実施する予定でしたが、当初降っていた雪がミゾレになり、夜半から雨に変わり気温も低くオーバーシューズを履いていなかった初参加者がリアルにトレンチフットになる恐れもあったため、0100で状況を中止しました。
終了後は予め安全管理のため建てていた大型テントで朝まで休み、翌日はフリーとしました。











雪の中危険な様に思われそうですが、イベント参加には厳密な装備規定を儲け、最低限必要な物が揃ってない人は参加出来ないのと、中隊本部を設置し統制と補給(主に食事)を実施し安全管理には配慮しています。
かと言って物が揃ってない人は絶対に参加出来ないかと言うとそうではありません。
危険な前線経験は出来ませんが、それをサポートする中隊本部で参加が可能です。
他のミリタリーの趣味と違い、中隊本部の行動を体験出来るのもリエナクトの醍醐味です。
体力年令に関係無く趣味として出来るのです。


続いての写真はサムズミリタリア主催のウィンターフロントに於いて中隊本部勤務を実施したものです。
イベントの設定が西方戦線であったため、設定を合わせやすい1944年10月南フランス上陸直後で行いました。
中隊本部を実施するにあたり、事前に主催と調整し許可を得てやっております。



この時は中隊長としてフランス人リエナクターの友人が参加してくれました。
この時の様子はフランスのミリタリア誌に紹介されました。











次の写真はUSAR主催ののルマンディーイベントに参加した時の物で、82AB GIRで参加したものです。
夜のテントの中でポーカーをして実際に遊んでいます。
この時ばかりは442連隊ATCoの気分でいます。
(ATCoはドラグーン作戦時に連隊から離れ南フランスにグライダー降下しました。)










最後の写真はHGGイベント ヒュルトゲンの戦いで中隊炊事(KP)として参加したものです。
















以上簡単ではありましたが活動の一端をご紹介させていただきました。
これまで見た写真には戦闘中の写真はありませんでしたが、我々の活動が戦闘に至までの行動を重視しているためです。
しかし全く戦闘状況を実施しない訳ではありません。戦闘状況を再現するのも行動を主眼として実施します。
リエナクトにおいてエアガンでの撃ち合いはお勧めできません。かと言ってモデルガンでも撃ち合いはお勧め出来ません。
エアガンを使っての戦闘は射程が短く、モデルガンではヒット判定は難しいと言うのも理由ですが、行動を主体とするため撃ち合いの要素を入れるととかく映画の主人公的行動に陥り、再現とかけ離れる為です。
しかしそれも統制により出来ない訳でもありませんが、それにはやはり軍隊を理解している者が必要となってくるのです。

これまで紹介したイベントについては、BCo広報担当 先任のブログで詳しく紹介しています。
http://kfir.militaryblog.jp/  
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Posted by Msg.Nakanishi at 17:18Comments(0)リエナクト