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2014年10月12日

M-1936 bag canvas field od(ミュゼットバック)

長く放置していましたが、再開します。


今回の紹介は通称ミュゼットバックと呼ばれているM1936フィールドバックです。

このバックはWW1の頃から将校用バックとして採用されていた物が改良された物です。

WW1の頃の物は下1/3が革で出来ていましたが、型式名が示す様に36年からオールキャンバスに改良が成されました。
この改良で使用される生地が防水の物になっています。

元は将校用バックであったこのバックは歩兵の機械化により、機甲科歩兵及び車輌搭乗者に支給される様になります。
また、新設の空挺部隊も採用する事に成りました。

何故このバックが機甲科や車輌搭乗者、空挺に使われたか。
それまでのハバーザックはフルパックにすると、縦に長くなり車輌に乗車するのが困難となり、装甲車や車輌で行動する部隊では背嚢を絶えず持って行動する必要も無い為、サスペンダーと分離できるこのバックが都合が良く採用されたと思われます。
因みに歩兵は背嚢がサスペンダーの役目をしているので、サスペンダー単体の支給は通常有りません。

このバックは4タイプに大別出来ます。
以下1stタイプから3rdタイプまでを紹介します。

1stタイプ

恐らくこのタイプを知っている人は少ないでしょう。
M1936バックの最初のパターンで、WW1からの将校用バックの流を汲んでいるのが分かります。
自分がこのバックの存在に気付いたのは、米軍教範の挿絵からでしたが、現物を確認出来たのは戦前の教育映画でした。

教範の挿絵




背中のストラップにフックは付いていますが、調整出来ず縫い込まれています。


表の蓋のストラップは一本のみです。

背中のストラップと蓋のストラップ以外は皆さんご存じのバックと変わりませんが、生地が防水生地になっており、大分色褪せていますが元はカーキでは無くODです。
戦前のODはピーグリーンと呼ばれるWW1から使われているグリーンです。
カーキのバックなのにODと言う名称はこれが元です。

内側の上部にに有る謎とされるスリットについて、テントポールを入れたとする記載を目にする事がありますが、間違いです。
もともと将校用ですので、兵用と違いテントや毛布を携行するように作られていません。
(将校はベッドロールを運ばせる)
では何か?
将校用なので将校が装備している又は支給されていた物を見れば分かりますね。

続く



  
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Posted by Msg.Nakanishi at 04:26Comments(0)ザック、パック、バック

2014年04月22日

ざ・ウエストフロント 5 END

午後からのシナリオは再び攻撃発揮位置からの攻撃で始まりました。



突撃は横隊となり、各自示された突入点へ突入するのですが、訓練や認識不足によりどうしても攻撃方向が一点に固まり、突撃が失敗する事が多くなります。






突撃は練度不足により上手くいったとは言いがたいが、敵主陣地を占領する事が出来た。

イベント最後のシナリオは突撃の場面のみの再現で、攻守を入れ換え行われた。

ここでは突撃要領の演練として突撃を実施した。
防御側の兵力が攻撃側よりも多く、攻撃としては良い環境ではなかったが、攻撃要領を体感する事が出来たと思います。

攻守入れ替わり防御の際は、火網の構成を理解出来たのではないかと思います。





今回初のイベント「ざ・ウエストフロント」は夏期に開催されている「ざ・パシフィックフロント」のヨーロッパ版で、シナリオが非常にしっかりしており、軍の指揮系統も良く再現されたイベントでした。

但し、ドイツ軍ユニットに関しては充分に指揮系統、行動がしっかり出来ているとは言い難く、今後の課題だと思います。
また、参加者の大部分はイベントの主旨を理解し、レギュレーションに従い参加されていましたが、極一部の参加者はレギュレーションを読んでいないのか無視しているのか、イベントにそぐわない服装、装備の者が居たのは非常に残念に思いました。

  
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Posted by Msg.Nakanishi at 20:00Comments(0)リエナクト

2014年04月20日

ざ・ウエストフロント 4

午前のシナリオが終わり、昼食風景です。

ジープで運ばれて来たKレーションとコーヒーの配給を受けます。


コーヒーを入れている容器は大戦中のフードコンテナです。
キャンプでは将校と兵は食堂が分けられますが、野戦ではアメリカ軍は将校も兵も関係無く配給の列に並びます。


中隊のKP等が食事を直接供給する時は、喫食エリアを設け、他の場所で食事を採る事は禁じられます。
今回は携帯口糧を配給されたので、各自のテント回りで各々食事を採っています。




今回支給された先任作製のリプロKレーション。


食事を後は次のシナリオ開始までショップを巡ったりと、休憩を各自楽しんでいます。


次回は後半シナリオの状況で終わりです。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 20:00Comments(0)リエナクト

2014年04月17日

ざ・ウエストフロント 3

主陣地攻撃から続けます。

敵の前哨を排除し、更に前進すると、敵主陣地にぶつかります。

主陣地前の前哨は幾つも配置されていたり、偽陣地を作り主陣地の発見を遅滞する事もあります。

敵主陣地に接触したならば、小隊は敵の動向監視の為、一個分隊を接触維持として直射火器の圏外に残し、主力は集結地を設ける為、後退します。

集結地では警戒の処置を講じ、攻撃準備と努めて休憩を取ります。
ここからの作戦行動は、前回のHGGと重複するので、省きます。

攻撃準備射撃最終弾に合わせ、攻撃を開始。
小隊長は警笛により合図を送るため、体勢を取っている。
左では中隊長が双眼鏡で、前方を視察している。


右の林縁に配置されたMGの援護射撃の下、攻撃が開始された。






この攻撃により、敵陣地の右翼を占領し、攻撃の足掛かりを確保する事に成功したところで、午前の状況が終了しました。


次回は昼食風景です。

  
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Posted by Msg.Nakanishi at 18:30Comments(0)リエナクト

2014年04月15日

ざ・ウエストフロント 2

状況開始から続けます。

中隊長から命令を受領した小隊長は、分隊長を集め小隊の命令を下達します。
分隊長は小隊命令を更に分隊命令として分隊員に命令指示を与えます。
こうして示された時刻に中隊は前進を開始します。




敵の勢力下までは車輛若しくは徒歩で移動し、集結地を占領し警戒の処置を講じます。
大隊で調整事項や、情報或いは命令を受けて中隊長が集結地に前進して来ます。
集結地では新たな情報や命令を再び前衛小隊命令として受けて、行動を開始します。









前衛小隊は示された経路上を速やかに前進し、経路上の障害を排除しつつ敵主陣地を解明して行きます。
敵主陣地に当たるまで前衛は停止しません。
敵の前哨は速やかに排除し、前進して行きます。
停止すると作戦が停滞します。
軍の行動は自分達だけで動いていないので、示された目標や時間は必ず達成しなければなりません。

前衛小隊から出ている前衛分隊は、少数の前哨と接触したならば、速やかにこれを排除し、引き続き前進しますが、一個分隊規模の前哨と接触したならば、小隊長の命令により小隊主力でこれを排除します。


前衛分隊が一個分隊規模の敵と接触。
小隊長はMG組と一個分隊をもって、正面から敵を射撃により拘束。






主力を迂回させ敵の側背より攻撃し、敵を排除します。

敵の前哨は主陣地の為に、時間的猶予を与える為、前進して来る部隊に射撃等加え前進を遅滞させる任務をもっています。
この敵前哨を速やかに排除する事により、時間的余裕を敵に与えないように努めます。
また、敵は部隊が攻撃の為展開したのを確認したら、通常後退して次の遅滞行動に移るか、主陣地に戻ります。




敵前哨を攻撃し、同地を確保。
敵前哨は射撃しつつ後退した。
小隊は残敵を検索し、前進の体勢を再び整え前進します。

通常敵は前哨陣地に火砲の照準を合わせおり、後退後に砲弾を落としますが、今回の敵は射撃しつつ後退した事により、十分に間合いを取れなかったため、我が方に砲弾は落下せず、主陣地への時間的余裕も十分与える事が出来なかった様です。





次回は主陣地の戦闘から続けます。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 18:30Comments(0)リエナクト

2014年04月13日

ざ・ウエストフロント



3月21日/22日の二日間に和歌山県橋本市のバトルランド-1にて開催された、WW2欧 州西部戦線「ざウエストフロント」に参加しました。

今回ドイツ軍側は緑襟や迷彩アノラック等思い思いの装備ではなく、統制された装備での一個小隊(三個分隊)+本部が運用できたのは国内トップクラスの質と量になり、米軍側も、人数こそドイツ軍に劣りますが、我々Bco/100bnを中心とした国内トップクラスの質がカバーし、大変充実したイベントになりました。

糧食について独軍は後方での炊事班による海洋堂所有のフィールドキッチンでの温食支給を実施し、米軍は戦闘糧食支給とし状況に合わせた配食となりました。

今回の状況はエアガン及び火薬式玩具使用の模擬戦闘&リビングヒストリーイベントであり、状況設定は厳密には設けておりらず、1944年ベルギー、オランダに近いドイツ、アーヘン の近郊での戦闘をモデルにしていました。

戦闘参加者は60名となり、内訳は

ドイツ軍 35名(中隊本部4名、小隊本部4名、小銃3個分隊26名)

アメリカ軍 25名(中隊本部3名、小隊本部2名、小銃2個分隊14名、機関銃班3 名、迫撃砲班3名)

以上の規模でのイベントとなりました。

今回我々のグループはピラミダルテントを中隊本部とし、実際にイベント本部として活用してもらい、隣にスモールウォールテントで中隊長テントを設営し、メンバーは全員パップテントを繋げて4人用にして宿営しました。




翌朝、本部前で戦闘準備を整えています。
余裕のあるメンバーは髭剃りをしていました。




リエナクトイベント恒例の編成完結式。
実際に中隊長から訓示を受けました。



次回は状況開始から続けます。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 20:00Comments(0)リエナクト

2014年04月12日

#11 HGG リエナクトイベント END



今回はメンバー二人が糧食班(KP)として、戦闘に参加せず、調理を担当しました。
KPは現在我々が力を入れて研究している部署です。

昼食はスパムムスビです。
当時の日系兵士に食されていた物です。
ベテランからの聞き取りを基に作っていますが、詳細を聞き忘れておりますので、参考程度と思って下さい。




アメリカ軍の配食要領はマニュアルにより示されています。

野戦で調理された食事はBレーションと呼ばれ、今回の様にラインを作って配られるのは敵の脅威の少ない後方地域の配食方法で、前線ではフードコンテナで分隊毎に配食されます。









昼食後にはイベント閉会式を行い、今回のHGGは終了しました。

HGGイベントは年に二回実施され、秋冬での開催はヨーロッパの戦い、春夏開催は太平洋戦域を実施しています。
ご興味の有る方は下記のサイトを訪れてみて下さい。

http://park.geocities.jp/gotenbasvgnet/index.html

END  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:14Comments(0)リエナクト

2014年04月09日

#11 HGG リエナクトイベント 3



状況開始から続けます。

中隊の前衛となり、前進経路上の敵を排除し、速やかに敵主陣地を解明し撃破せよとの命令を受け、接敵行進からの状況を開始しました。






林縁まで前進したところで敵前哨陣地の接触は省略され終結地の占領、警戒陣地の構築を行いました。






小隊から各分隊1組の斥候を出して、敵主陣地の解明を行います。
通常では昼間は遠方からの監視斥候とし、夜間に細部の斥候を行います。




斥候からの情報を基に、中隊は攻撃計画を立案し、行動に移します。
今回のイベントでは時間尺度を短縮し、行動していましたので、斥候の帰来報告後に直ぐ攻撃を開始しています。

攻撃支援射撃開始と同時に集結地(Assy)を出発し、攻撃発揮位置(AP)を占領します。
攻撃支援射撃終了に合わせ、攻撃開始線(LD)を通過し隣接部隊と足並みを揃え攻撃します。








LDを越えると直射火器の射程圏内に入ります。
敵からの火勢が無い限り、出来るだけ素早く突撃発揮位置(Atp)に緊迫します。
敵からの射撃が有れば、分隊内相互に連携し、Atpに緊迫して行きます。
各分隊がAtpに到達したならば、小隊長は突撃支援射撃を要請し、更に敵陣地に緊迫し、突撃支援射撃最終弾に合わせ突撃発揮します。





敵陣地突入後は示された目標に速やかに緊迫、敵を排除して行きます。
示された目標に到達したならば、直ちに分隊長に報告し警戒します。

分隊長は示された地域を占領したならば、速やかに分隊員を掌握し、小隊長に報告します。

目標地域を占領したならば、残敵を掃討し同地を確保、予備の小隊が通常超越し遠方まで前進します。
また、命令があれば引き続き攻撃を続行し、縦深陣地を占領します。

イベントでは敵主陣地を占領、警戒の体勢を取ったところで終了となりました。


次回終了後の昼食で終わります。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 12:15Comments(0)リエナクト

2014年04月08日

#11 HGG リエナクトイベント 2



翌朝からのレポートを続けます。

朝は起床ラッパにより起床し、整列して点呼を取ります。

実際に健康状態の掌握、人員の掌握をして異常の有無を確認します。








点呼後は各自朝食までの間、身支度を整えます。

朝食が出来上がり、食事ラッパの合図で各自並んで配食を受けます。





食事後は状況開始までの間、時間潰しに雪ダルマを作って遊んで見ました。
実際の兵士達も退屈凌ぎに、様々な遊びをしていました。






状況開始前のセレモニーを行います。
実際にはこう言ったセレモニーは、部隊の編成完結時に行う為、前線では行いませんが、イベントではその時々で編成を完結するため、士気の高揚や団結の強化、或いは指揮の明示のため敢えて行います。



次回は戦闘状況から続けます。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:49Comments(0)リエナクト

2014年04月08日

#11 HGG リエナクトイベント



2月8日から9日にかけ御殿場で行われたリエナクト イベント、HGG11のレポートです。

今回の想定はイタリア戦線マジョ高地群の戦闘でし たが、予想外の降雪により景色はバルジ戦かスター リングラードの呈となってしまいました。

先行して到着した先任達が、宿営準備を始めて居ました。

引き続き炊事の為のテントを皆で設営。

平行して宿営テントの中を準備しています。












宿営地の開設が終わり、先任が夕食の準備を始めます。

他の者はテントで休息を採って居ました。

暗く成ってからの夕食です。

本来なら食事をとる場所を開設し、テント内では食事をしないのですが、今回は思わぬ天候であった為 、テント内で食事をしました。








夕食後は宴会となりましたが、皆昼間の疲れから、 早々に就寝となりました。






次回は翌朝からの行動です。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 11:14Comments(1)リエナクト

2014年02月01日

HGG

今回は来週末に行われるリエナクトイベントの参考に、第100大隊の概要を載せておきます。

イベントの詳細は下記URLを参照願います。
http://park.geocities.jp/gotenbasvgnet/HGG5.html


この項では、同じ日系部隊でも442連隊と100大隊が、別の性格を持っていた事を理解して頂ければと思います。



<部隊史概要>
1940年10月29日:
第1回選抜徴兵(Selective Service Act)開始。ハワイにおいて1543名の日系人が徴兵され、ハワイ州兵として第298及び第299歩兵連隊等へに配属され軍務に就く。

1941年12月7日:
真珠湾攻撃 。
所属する日系人を含む298ならびに299歩兵連隊は日本軍の上陸を警戒する任を帯び、海岸線防衛等に数日間あたる。

防衛警備に当たっている最中、ハワイにおいて軍務に就いている日系人全てが、スコフィールドに集められ、半ば隔離された状態になる。
以降、武器を回収され雑務をして過ごす。

1942年6月5日:
298ならびに299連隊の1432名の日系兵士によるハワイ臨時歩兵大隊 (Hawaiian Provisional Infantry Battalion)が編成され、マウイ号にてアメリカ本土へ移動。
この異動は極秘のうちに行われるたため、家族すら知らず見送りも無かった。
また兵士たちは「マウイ号」乗船時にハワイの伝統であるレイを貰えなかった事
もあり、彼らの不安をあおった。

1942年6月12日:
マウイ号は オークランド へと入港し、ハワイ臨時歩兵大隊は第100歩兵 大隊(独立)となる。
その後行き先も知らされぬまま3本の列車に別れて内陸部へ移動。

1942年6月16日:
第100歩兵大隊は ウィスコンシン州 キャンプ・マッコイに到着、編成と 訓練を開始する。

1943年1月6日:
マッコイでの訓練を終えた第100歩兵大隊はミシシッピー州のキャン プ・シェルビーへと移動し訓練を継続する。

1943年4月初頭:
第85師団に配属され、ルイジアナでの2ヶ月に渡る演習に参加。

1943年7月20日:
大隊旗受領。
部隊モットー「Remember Pearl Harbor」を制定される。

1943年8月11日:
第100歩兵大隊に海外出征の命令が下る。
キャンプ・シェルビーを出発。キャンプ・キルモアを経て、20日にブ ルックリンにて「ジェームス・パーカー号」に乗船。

1943年9月2日:
北アフリカ のオランに到着。
北アフリカでは鉄道警備にあたる予定だったが、大隊長ファーレント・ターナー中佐の抗議により実施していない。また一部、遺体処理の作業に当たったと言う証言がある。

1943年9月19日:
第34師団第133歩兵連隊の第2大隊として配属が決まる。
オランから「フレデ リック・ファンストン号」に乗船。

1943年9月22日:
イタリア戦線 サレルノに上陸。

1943年9月28日 - 30日:
サン・アンジェロ〜 モンテマラーノ の街道において初の戦闘 KIA:3
この日 Sgt.Shigeo Joe Takata が初の戦死者となる。

1943年10月10日:
師団長の命令により、ヘルメット前面に師団章(RedBull)をペイント。
師団の一員(ひいてはアメリカ軍兵士として)に認められた証であるこの措置は兵士達を喜ばせた。

1943年10月18日 - 24日:
ヴォルトルノ川渡河、サンタンジェロ攻撃 KIA:23

1943年10月22日:
副大隊長ジェームス・ラベル少佐負傷。

1943年10月29日:
大隊長ファーレント・ターナー中佐は療養を命ぜられ、ジェームス・ ギレスピー中佐に交代。

1943年10月30日 - 11月4日:
ヴォルトルノ川渡河(第3回)に参加。KIA:21

1943年11月5日 - 12日:
590高地、600高地、610高地の戦闘 KIA:33

1943年11月28日 - 12月15日:
ルート掃討戦 1017高地、920高地、841高地の戦闘 KIA:39

1943年12月5日:
大隊長はキャスパー・クロー少佐に交代。


(以下イベント想定時期)
1944年1月5日 :
第100歩兵大隊と第3大隊は第36師団砲兵を加えてタスクフォースBを 編成し、第1特殊任務部隊のフレデリック大佐指揮により翌日よりマジョ高地群の掃討に向 けた行動を開始する。

1944年1月7日 - 13日:
マジョ高地群 1190高地、1270高地、692高地の戦闘 KIA:13
これらの高地を巡る戦闘は犠牲も出したが、第100歩兵大隊に戦闘部隊としての経験と自信 を植え付ける。以後の第100歩兵大隊は戦闘時にも混乱を起こす事なく戦った。


<服装、装備について>
・服装
基本的にはウールシャツ、ウールトラウザースにキャンバスレギンス、ODフィールドジャケットですが、この時期はウィンターコンバットジャケットとトラウザースを着用している者が多く見受けられます。

34師団章をジャケットにほとんどの者が着けているのが確認できますが、階級章は着けていない事が多いです。

ヘルメットには師団章を手書きでペイントしており、一部の者が網目の大きいヘルメットネットを使用しています。

・装備
銃剣はウェブベルトに提げず、背嚢に装備されています。
ウェブベルトには水筒、救急品袋を装備しますが、教範に示された位置に着けて居ません。
これらは統制され、34師団独自の位置に装備されていました。(下画像参照)



  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:27Comments(0)リエナクト

2014年01月15日

BCo新年野営訓練

毎年恒例の新年野営訓練に参加してきました。


例年は舞鶴市で行っていましたが、今回御殿場で実施しました。
今回の想定は 1944年1月 イタリア戦線 カッシーノ近郊 マジョ高地群 Hill 1190

部隊設定は3pt/BCo/100Bn/133Reg/34Div


今回宿営の為の大型テント(M1934ピラミダルテント)とKPの小型テント(M1941スモールウォールテント)。

本来大型テントは中隊に2~3張りしか無いので、野戦では通常個人用テント(パップテント)で兵士達は宿営します。
前線から離れた休養地等では、師団以上のサポート部隊により宿営地を開設され、交代で割り当てられた大型テント群で宿営します。
本来の収用人数は8名ですが、1941年から分隊の定員が変わったため、当時12名で使用していました。

小型テントは将校用の宿営に使用されました。
これは中隊に3~4張り有り、中隊長は一人で、小隊長等は2名で使用しました。
また、中隊の倉庫等に使用される事も有ります。

本来KP(炊事班)で使用するのは小型テントより大型で同形状のテント(ラージウォールテント)を使用しました。

宿営地開設が一段落し、暫しの休憩後に昼食を採りました。
仮眠をとる者や準備をする者等様々。

テント内に設置しているのは当時のテントストーブで、傍にあるカーキ色の大きなバックは、ストーブの燃料である石炭を入れておくためのコールバックです。


今回例年参加しているメンバーの一人が、遠くアフリカの地から手紙で参加してきました。

今回は野戦調理器具(M1937フィールドレンジ)の取り扱い要領の練成も兼ねて、昼食を作りました。
この野戦調理器具は中隊に2~3台保有しており、野戦での調理に使用しました。

この調理器具は残念ながら戦後70年製で、WW2の物と上部形状が違いますが、それ以外基本的な性能や取り扱いは同じです。




昼食後は訓練を行いましたが、今回予定していた戦闘状況下での行動は、予定していた後方支援の人員が急遽参加出来なくなり、安全管理に支障をきたすと判断し基本訓練に変更して実施しました。

内容は
・各個の戦闘訓練
発進・停止
射撃と運動
・分隊の戦闘訓練
分隊前進
組前進
各個前進
突撃要領
・歩哨及び外哨
外哨内の歩哨
・斥候
・総合訓練

以上の内容で2日間活動しました。

各種野外訓練前に砂盤を使い攻撃、防御の概要を座学により実施しました。


自分たちがどのような状況で行動するかを知って置かなければ、自分の置かれた状況も分からず行動に支障が出ます。

座学の後、夕方まで訓練を実施し、日没後に歩哨、斥候の夜間訓練を行い一日目を終了しました。






翌日は前日実施した訓練の纏めとして前衛分隊の行動から終結地の占領、攻撃までを総合訓練として締めくくりました。

総合訓練前にKレーションを一食支給。




前日座学で使用した砂盤を使用して、総合訓練の概要説明と命令を下達。


総合訓練開始。








総合訓練終了後に現地において昼食を採り、今回の訓練は終了しました。


我々BCoは各種イベントを通じ様々な再現や追体験を行っています。

我々の活動に興味のある方は是非一度ご連絡下さい。


  
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Posted by Msg.Nakanishi at 00:16Comments(0)その他

2013年12月30日

メディック

今回からの内容は衛生兵の基本装備を紹介します。

先ずは1944年の補給カタログの挿絵を御覧ください。
この挿絵は兵用(Pvt)のメディカルキットバックの 構成品を示した物です。


自分の所有する補給カタログは複製品の為、挿絵 が黒く潰れ見辛いのでコレクションとリプロダク ト品で再現してみました。


次回からは他の装備も紹介しながら、衛生関係の内容品を徐々に紹介したいと思います。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 00:58Comments(0)基本装備

2013年12月29日

第71回ビクトリーショウ展示


今年もビクトリーショウに於いて展示を行いました。


今回の展示はBCo/100Bnとしてでは無く、関西ヒスサバ実行委員からの依頼により企画展示として、WW2期のドイツ軍、アメリ カ軍兵士の日用品についての比較展示を行いました 。
ドイツ軍の日用品については友人のSTEINER氏に協力して頂き、内容も良い展示と成りました。


当初はブログで紹介した様に、色々なバリエーションも含め展示する積もりでしたが、展示スペースの関係で基本的な一人分の展示と成りました。


洗面用具の比較。
左側がドイツ軍、右側がアメリカ軍の展示になっています。


野戦食器の比較。


裁縫道具、ハンカチの比較。


喫煙具の比較。


時計、眼鏡、財布の中身等。


郵便物、手紙等。


ゲーム、歌集等の娯楽用品。


軍発行の週刊誌や新聞、読み物。


当日の展示の反響は現場では分かりませんが、中々見れない比較展示と成ったのではと思っています。

また来年末には違った展示をすると思いますので、よろしくお願いいたします。
  
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Posted by Msg.Nakanishi at 12:44Comments(0)その他

2013年12月28日

ソーイングキット




今回の紹介は裁縫道具です。

支給品目としてマニュアルに記載が無い物ですが、官給品が存在するアイテムです。
鏡と同じく海外派兵の際に支給品目に追加されるのかも知れません。

支給されてはいませんが、必ず必要な物ですので、個人で購入し使用していた様です。





このタイプは官給品と言われている物です。
OD7の生地で43年以降の物と思われます。




内容品は糸、針、ハサミ、指貫、ボタン、安全ピンです。
糸は数種類の異なった色と太さの物が入っています。




こちらは先の物と同タイプで、OD3の物です。43年以前の物と思われます。




画像の物は欠品が幾つかありますが、内容品は先の物と同じ物と思われます。




こちらは厚紙のケースに入った簡易的なもので、PXで購入若しくは、入隊時に最初に配布された物と思われます。




内容品は針、編まれた2種類の糸、安全ピン、ボタンです。




これはPXで購入出来た私物になります。
厚紙に布を張り付けたケースになっています。




このコレクションは欠品や、入れ替えが成されておりますが、内容品は針、ハサミ、指貫、ボタン、安全ピンが入っています。
糸は数種類の異なった色と太さの物が入っています。


このコレクションは縁が革で補強され、ネームを書き込むホルダーを備えた物て、PXで購入出来た私物になります。


内容品は他の物と同じく針、ハサミ、指貫、ボタン、安全ピン、数種類の異なった色と太さの糸が入っています。


こちらの物は革で出来たケースの私物になります。


内容品はこれも他の私物と同じ内容品が入っています。


最後に予備ボタンです。
これもPXで購入出来た私物になります。
大小様々な大きさのボタンが入っています。
白いボタンが入っているのは、42年生産の下着等が白で生産されていた為です。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 23:26Comments(0)日用品

2013年10月15日

LMG position & 60mm motor position

長い間更新していませんでしたが、久々の更新は野外イベントでの活動をご紹介します。

9月21日〜22日に御殿場で行われた、サバゲイベント「コンバット!6」と言う御殿場SVGNETさん主催のWW2イベントです。

今回は総員9名で主催の承諾を得て、展示目的の迫撃砲陣地、機関銃陣地を作成。
予定では二日間参加のところ、急遽日曜日が仕事になり自分は指導の為、一日だけの参加となりま した。

当初、宿営準備。
ピラミダルテント(リプロダクション)を使用した、後方地域での宿営態勢で過ごす事にしました。
このテントは本来戦前の分隊用(8名編成)ですが、戦中を通じM1942Sqdテント採用後も最もポピュラーに使用された分隊用テントでした。
戦時になり分隊の編成が増えたため、無理矢理10名を詰め込み一人辺りの居住スペースは当然狭くなりましたが、屋根も無く土の上で生活している前戦の兵士には、暫くの間は天国に感じられたでしょう。














宿営場所の設営後は迫撃砲陣地、機関銃陣地の構築に移ります。
概要を説明後、一次掘開までを指示し作業に取り掛かります。













途中、迫撃砲陣地から水道管が出てきたので位置をずらし、主催から土嚢を借りて処置。










作業を一次中断し、昼食のKレーションを食べる。
通常、作業効率を考慮し、交代で食事や休憩をとります。










昼食後は再び構築作業にかかり、ひたすら掘ります。







陣地構築も70%ほど概成してきた所で有線の構成も開始しました。




本来は作戦準備間に行う弾薬の準備ですが、今回は手の空いた頃を見計らい行いました。
これは布ベルト用の装弾器でですが、弾薬を保持する為のステーが残念ながら欠品しており、3発づつ装弾しています。







日が落ちる前に陣地が概成。
陣地は時間が有ればいくらでも強化補強していくものなので、完成と言う表現はしません。
今回基本を学ぶ目的でしたが、所有している資料が発見出来ず、自分の記憶だけで作ったため間違いもあります。
後日資料を発見したので、比べてみて下さい。

LMG position













60mm motor position













当日は気温が高かった為、各人の体調等も考慮し時間で作業を切ったので、穴の深さは十分ではなかった。
次回は基本通り構築したいところです。
また展示目的も兼ねた為、偽装を一部のみとし全面に施 なかったのが残念でした。
しかし、一部偽装する事で効果を確認する事が出来たと思います。

今回基本を学ぶ目的でしたが、土壌が柔かった為に応用的に交通壕を用いての作成となっています。
また、分隊長の入る壕を作らなかったので、不自然な写真となっています。

お気づきの方も居ると思いますが、迫撃砲の剽悍が無いのは資料不足です。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 21:35Comments(0)

2012年12月18日

ビクトリーショー展示





12月15日、16日の2日間に渡り開催されましたビクトリーショーでの我々BCo/100Bn展示は無事終了いたしました。
まだまだ至らぬ点などあり、ご来訪頂いた方々からも多くを学ばせて頂きました。
この場を借りてお礼申し上げます。

今回の展示に関して、ご意見やご要望、ご感想またはご指摘がございましたら、遠慮無くお伝え下さい。
また次回機会が有るときに反映したいと思います。

今回の展示内容は
・基本装備のオリジナルとリプロ・代用品との比較展示。
・各配属された師団の主要時期における装備展示。
・携帯糧食、携帯ストーブ、糧食運搬缶など分隊における食の展示。
・トランプ、サイコロを用いた兵士の娯楽。
・60mm迫撃砲の展示。
・日系部隊の参考資料、文献の紹介展示。
・画像による100大隊の歴史と我々の活動の歴史紹介。

と、盛りだくさんな内容で展示を行いました。

会場では来場された方々の反応が今一つ分からず、成功したかは分かりませんが、また機会が 有れば是非やりたいと思っています。

展示にあたり協力してくれたsilverさん、ABーCon、クライネ、また多忙な仕事の合間に会場手 配から準備・調整に当たってくれた先任にも御礼いたします。
この展示をするにあたり、100大隊ベテランの方々にも大変お世話になり、また理解を頂いて おります。

今回の展示を通じ、日系兵の延いては100大隊に興味を持って頂ければ幸いに思います。



























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Posted by Msg.Nakanishi at 01:08Comments(0)

2012年12月12日

BCo/100Bn リビングヒストリー展示



先般もアナウンス致しましたが、週末12月15,16日に東京は浜松町の都立産業貿易センター浜松町館で開催されます、国内最大のミリタリーイベント「第67回ヴィクトリーショー」に、我々Bco/100Bnは 展示ブースを出展いたします。 イベント主催のサムズミリタリ屋様との調整により、拡大スペースをいただきました。
場所は会場4階の入り口入ってすぐ右です。

詳細は下記↓でご確認下さい。
http://www.sams-militariya.com/l.html

主要な展示内容は下記の通りです。

・アメリカ陸軍歩兵の装備を、実際に当時行われていたインスペクション=装備点検の形で展示。
・第100歩兵大隊の各主要戦線における装備、被服展示。
・「写真で送る、第100歩兵大隊の歴史」ムービー上映。
 (製作”先任” 協力 100th Veterans CLUB)
・写真で見る、リエナクトメント・グループ”Bco/100bn in Japan” の歴史。
(我々はハワイの100大隊ベテランズClubより「Bco/100Bn」と名乗る事を許されました!)
・実物迫撃砲展示 などなど。

我々Bco/100Bnの創隊10周年を記念しての展示とし、リエナクトメントに対する興味を持って いただくのと同時に、第100歩兵大隊についての理解をいただく事を目的としております 。

日系部隊はもちろん、WW2アメリカ軍や、他国軍隊のお話などもしたいと思っていますの で、是非みなさまお立ち寄り下さい。 質問、疑問なども慶んで受け付けます。 また、展示の中に疑問や間違いを見つけたなら、遠慮なく指摘して下さい。 そうする事で、さらなる勉強に繋がる事を我々は望んでいます。

私はもちろん、グループ随一の研究者である先任と2日間、ブースにて皆様の御来訪をお待ち しております!  
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Posted by Msg.Nakanishi at 01:37Comments(0)

2012年12月06日

ミラー

今回紹介の物品は兵士個人に支給された手鏡です。

補給品としての名称は「ミラー トレンチ グラス」と言い、ストックナンバーも付与されています。
例に漏れず多くのメーカーが様々なタイプの物を納入していました。

画像下になっているケース付きタイプは私物品になり、上にある3枚が官給品になります。




赤いプラスチックフレームタイプの物で、中央2つは金属板を研磨した軽易な物になります。
ケース付きタイプはWW1から変わらない古い物になり、右の物はスタンドが付いています。





この金属板を研磨した軽易な物は、写りこそ良くは有りませんが金属故に丈夫(割れない)ため野戦に向いており、WW1から使われていました。
また、世界各国の軍でも同様の物が生産されています。




この赤いプラスチックフレームの物には大きさと色のバリエーションが有る事を確認しています。
色についてはカーキ色(OD)があり、映画「Saving Private Ryan」で確認する事が出来ます。
このミラーは金属板では無く鏡ですので、衝撃を与えると当然割れます。
前述の映画SPRでは実物を使っていますので、銃剣に引っ付けたまま投げ捨てるシーンでは勿体ない事に、確実に割れている事でしょう…。





以上、手鏡について紹介しましたが、考察中にひとつ発見がありました。
それはこの手鏡が、平時では支給されていない可能性があったと言う事です。
この手鏡が支給されるのは、海外遠征する兵士に支給された物だったようです。

まず兵士個人に支給される品目表にミラーの記載が無いことが、本来の支給品目でなかったと言う事を示しています。
しかし、補給管理品目および補給管理ナンバーがある事から、官給品目として存在しており兵士に使用されている事実も有ります。

平時であれば普段の洗面は兵舎の洗面所で行うため、個人に手鏡を支給する必要性も有りませんが、海外遠征(戦地)であれば鏡が有る場所に必ず野営出来ないため、支給された物ではないでしょうか。  
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Posted by Msg.Nakanishi at 22:48Comments(0)ミラー

2012年11月30日

ビクトリーショー展示

12月15日(土)、16日(日)に浜松町で行われるビクトリーショーに於いて、我々BCo/100Bnが両日に渡り展示を行う事になりました。
http://www.sams-militariya.com/l.html

主に個人装備の展示と、戦線毎の被服を展示する事を考えています。
ご来場の際は是非お立ち寄り頂き、質問等してやって下さい。

下の画像の様な当時のインスペクションをイメージして、展示を行う予定です。




  
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Posted by Msg.Nakanishi at 00:01Comments(0)